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「黄帝内経」の智と慧 2020年09月02日


「黄帝内経」の智と慧2020年09月02日



「黄帝内経」の智と慧

2020年09月02日(水)10:49 PM

 アロマサロンカモミールのミール長です。9月7日昼間開催する予定の【webセミナー】『黄帝内経』読解セミナー Vol.1『黄帝内経』の紹介締切は明日9月3日までです。

 

 では今日の話題は「黄帝内経」の智と慧です。

 

 智と慧もそれぞれの意味を持ちます。中国のことわざ「急中生智」と「静極生慧」を借りて説明します。急いでいる時、緊急時で普段勉強した知識を思い出して、生まれたアイディアは智と言います。冷静な状態で悟った道理や哲学的な物は慧です。

 

 智の漢字の書き方に心がありません。つまり心を動かさずに、見える物、触れる物、誰でも研究できる物です。一方、慧の字に下に心がある、心は神に通じで、心を使って悟る物です。慧の上に豊富の豊(丰)二つがあって、無限に豊かという意味です。真ん中に山が横にしている部分、これは迂回の意味を象徴します。即ち、慧という物を研究しすぎるのは必ずいいと限りません、ある程度素朴や鈍感が必要です。

 

 智の立場から慧の素朴や、鈍感さを愚かに思うかもしれませんが、人と付き合うつまり人間関係の問題を処理する時慧が勝つ時が多いと思います。例えば、点と点の間直線距離は一番短い、これは智の教えです。直線的なやり方は一番効率がいいはずなのに、誰かと仲良くしたくて、家まで招待したい時、お客さんに「家でご飯を食べるなら食事を用意するけど、食べないなら用意しないわ」のようなストレートな聞き方は絶対しません。仲良くしたいという純粋な気持ちで食事を多めに用意するでしょう。でも鈍感しすぎて全く計画性が無かったら浪費になります。最近の教育は特に智の部分を重視して慧の部分を無視するのが多いので、人と上手く付き合えない若い子が増えています。